学習と経験

・他人のためではなく、義のため、使命のために生きる事。
少なくとも、「誰かのために」という言葉を使いさえすれば、美談に聞こえる事が大概に思えるが実際はそんなに良いものではない。他人と私とは究極的には、違う人間であるから完全には相容れない。故に完全に共感する事は不可能。自分が理想とするものに対してズレがある他人のためになぜ命と同等である時間を掛ける必要があるのかと迷う事もあったが、そもそも他人に何かを期待するという事、他人に共感しようとするという事、他人を応援するという事が自分には向いていない事が分かった。
それからは、他人のための自分ではなくて、義のため、使命のための自分という設定をする事によって精神的に楽になった。

・徒党は組まずに、出来るだけ独立自尊で生きる事。
一人ではやっていけないから誰かと協力しながらやる事になる。完全に独立自尊で生きる事なんて不可能だという事もわかっている。例えば、自分が溺愛する一人で切り盛りのラーメン屋でさえも、本当に一人だけでラーメン屋をやっている訳ではない。ぱっと見は店主一人でラーメンを作って接客をしている様には見えるが、使っている包丁、スープの具材、店舗の賃貸管理、など到底店主一人で切り盛り出来る訳ではない。役割が分業化されている事によって店主がラーメン作りに専念出来るという現状がある。
ただ何でもかんでも分業してしまえば良いという訳ではなさそうだ。

・誰しもが社会制度の中に組み込まれている一個人である事。