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【咀嚼】『愛のむきだし』園子温

主人公はユウ。満島ひかり紛するヨウコに惚れる。宗教団体であるゼロ宗教のコイケが色んな作戦をたてて、ヨウコを団体に取り込んでしまって、それをユウがどうにかこうにか取り戻すという流れ。

人生を語るには些か早すぎるが、逃れられないものが存在する。その一つとしての家族。一般的な家族像とは脱線した形の中で登場人物が位置付けられている。家族という空洞を埋めるために宗教にはまっていく人たち。それを埋めるため、最後には、愛が出てきたり、肉体が出てきたり、罪が出てきたりする。

作品の中では、肉体というものを大事にしている印象を受けた。例えば、勃起をするかどうかという点がユウにとっては大切な事。しかし、他人からは変態という扱いをされてしまう。父親のイチモツをコイケが切り取ってしまう場面があったが何を象徴していたのだろうか。もっと言うならば、イチモツは映画の中で何を象徴していたのだろうか。唯一信じられるもの、宗教ではなくて、イチモツを信じなさい、とでも言っているようにも感じた。肉体と社会、でもユウの母親がマリアを探しなさいと言っていなかったらユウは女性に興味を持つ事はあったんだろうか。

肉体が社会的なものを乗り越えていく事。神父という社会的な立場があるけれど、ユウコからのアプローチに応じてしまう。レズビアンという社会的なものがあるけれどサソリの事を好きな自分を認めてしまうヨウコ。盗撮という社会的には犯罪だとされる事をそれでも自分が罪をつくるためにのめるこんでいくユウ。肉体に従っていれば、空洞は埋める事が出来るかもしれないけれどそれの危険性も同時に描かれているような。あえて社会的なものをぶっこわしてでも自分の衝動に従え、という園子温自身の生き様を描かれているような感じもした、彼の生き様を知ったうえで振り返ってみると。

自分自身の空洞。映画を観ながら家族の形が異性に対する態度としてどのように出ているかを考えてしまったりもした。特段、女性が嫌いとかそういうのはなかったかな。女性になりたい、もなかった。ただ極端に人見知りだった時期はあった。そりゃ両親の影響も少なからずあったよなと振り返った。