【咀嚼】『弱虫ペダル』渡辺航

総北高校1年生の小野寺坂道は無類のオタク。
オタクの聖地である秋葉原に毎週通うのが彼にとっての最大の楽しみ。
自転車で秋葉原に行けば、電車賃を節約出来るからといって
自転車で往復90キロをかけて中学生時代から秋葉原に通う事に。
そんな彼も高校入学と共に、ふとしたきっかけで自転車部に入る事になる。
そこで自転車の才能に目覚めていき、次第に自転車に魅了されていく。

スポーツ漫画の醍醐味と言えば、主人公のサクセスストーリーであろう。
主人公には元々兼ね備えていて才能があり、調子付いてきていたところに、
才能だけでは敵わないライバルがあらわれ努力をするという事を学び、
仲間の大切さというものを知り次々にあらわれるライバルを倒しながら成長していく。

スポーツ漫画の醍醐味から勝手にこの漫画の内容を推し量るとすれば、
「弱虫泣き虫な少年が自転車という武器を手に入れ
素晴らしい仲間と出会い、数々のライバルと切磋琢磨しながら成長していくスポーツ漫画」
というような錯覚に読者は陥ってしまうであろう。序盤を読むだけでは。
少なくとも自分は陥っていた。しかし、この漫画をただのスポ魂漫画と同じ枠組みで語る事は出来ない。
なぜならば、「努力していればそれはいつか必ず実る」「友情の力があれば最後には勝利を収める事が出来る」というようないわゆるスポ魂漫画における常識がこの漫画においては一切通用しないからである。

この漫画を語るにあたって、京都伏見高校1年、御堂筋翔なしでは語る事は出来ないであろう。
まるでエヴァンゲリオンに登場する使徒を彷彿とさせるような顔つきと存在感の彼がこの漫画のキーマンと言って過言ではない。好物なものは、勝利、結果、実力、、嫌悪するものは、敗北、努力、友情、、
性格的には非道である。礼儀も言葉遣いも知らない。悪口、文句、煽り、嘘はお得意。だが、自転車というフィールドにおける実力は圧倒的。周りがどんなに頑張っても、努力しても、結束しても御堂筋からは勝利を掴む事が出来ない。その御堂筋を取り巻く環境も様々。

御堂筋のチーム京都伏見の秩序は、独裁によって。
1年生であるにも関わらず、御堂筋の言う事は絶対的であり服従が求められる。御堂筋に抗う事は"死"を意味する。しかし、服従さえしていれば勝利がほぼ確約される。

坂道のチーム総北高校の秩序は、相互扶助によって。
"チーム"で勝つ事が求められる。誰かが危機的な状況にある時は、例えチームとしてのリスクを犯してでも、助ける事を前提として最適解を見つけようとする。

前回王者チーム箱根学園の秩序は、自立によって。
チームの1人1人がエースであり、それぞれが自分に対して絶対的な自信を持っており、それぞれに対して絶対的な信頼を置いている。どんなに危機的状況にあってもそれぞれが危機的状況から這い上がる術を心得ており、穴という穴が見つからない。

また、御堂筋は箱根学園とのスプリント勝負で負けそうになっている場面でこのような事も言っている。(結局、御堂筋が逆転。)

「俺は勝たないかんのや お前とは背負っとるもんの レベルが違うんや」

御堂筋は、何を背負って、勝利の先に何を見て、なぜそこまで勝利に執着するのか?御堂筋にとって、勝利するという事がどういう意味を持つのかがこれから気になるところ。

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この漫画を通して、自転車競技の魅力にも触れる事が出来た。
自転車競技は団体競技である。この漫画を知るまでは個人競技だと思っていた。
ルールとしては、6人1組で1チームを組みトップでゴールした個人がいるチームの優勝。
一見、一番早い人間がいるチームが一番強いと思ってしまうが、
1人のエースのために残りの5人がそれぞれが得意とするフィールドで
他チームと駆け引きをしながらゴールを目指す。
他の競技と違って、①団体競技であり個人競技②自転車という装置
という2つの性質を持つために面白いと感じた。


(16巻まで読了。以下続刊。)