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【咀嚼】『フード・インク』ロバート・ケナー

映像を見てから、牛丼屋に足を運んだ。あえて行ってみる事にした。

それは、今後絶対に肉は食べたくない、っていうような感情はあの映像を観終わった後には湧いてこなくて、今後肉とどう付き合っていけばいいのかを考えるために、実際に「自分がいつも食べている肉を目の前にした時に何を感じるのか。」を知りたかったからだ。


牛丼屋に入ると、当たり前のように、食べている人がいて、調理している人がいて、そして牛丼が食べられている。牛丼があるというより、牛がいる。牛丼を目の前にする事で、より映像のリアリティが大きくなる。映像で何体も吊るされていた牛たちが巡りめぐって今自分の目の前にいる。


色んな事を考えながら牛丼が出てくるのを待つ。牛丼が目の前に置かれてからも、牛丼を見つめながらしばらく考える事が続いてしまう。このお肉はどの国から来たのだろうか。


こんな薄い肉になるまでどんな工程を踏んできたのだろうか。もし、これが人間の肉だったら自分は食べられるのだろうか。周りの牛丼をがつがつ掻き入れている人達が同じ映像を見たとしたらどんな事を思うのだろうか。牛を食べるのと、ネギを食べるのとでこうも感情が違うのはなぜだろうか。実際に牛は殺していないけれど、食べる事は殺す事と何が違うだろうか。直接的に殺してはいないけれど、間接的にでも、動物の死がある事で生きていけている職業ってどういうものがあるだろうか。仮に人間が動物を全く殺さないような社会になればそれは本当にいい事なのだろうか。人間以外の動物が他の動物を殺す時にはどんな感じなのだろう。他にも色々と湧いてきたものがあったと思う。


そして、牛丼を頂く。まさに、頂くという感じ。頂きます。今まで言っていた、いただきます、っていう言葉は薄っぺらいものだったなと同時に思う。そして仮に子供が出来たとして、頂きます、っていうのをどう伝えようかとか考える。頂きます、って言いなさいっていうのは簡単だけど、心から本当に、頂きます、って思っていない、頂きます、に果たして意味はあるのだろうか。


お肉。細切れにされていてぺらっぺらになっている。身体のほんの一部分しか見えないと、なかなか原型を想像しづらい。自分が牛を食べているという想像力が削がれてしまう。


味は美味しい。でもそれだけじゃなくて、違和感もある。拒否している感情でもないけど、美味しいという前向きな感情だけでは決してない。また、なんだかんだ綺麗事を言いながら、普通に肉を食べるような日々が続いていくのかな、とか、安さを大事にして消費をしていくのかな、とか考えながら箸を進めていく。食べ終わる。ご馳走様でした。


正直、牛丼を食べ終わっても、自分の中で確かな決心が芽生えたとかそういうものはない。自分は感受性が少ないのだろうか。ただ、もやもやしている感じは確かにある。とにかく今自分に出来る事。パソコンの中に書き溜めている"やっている事リスト"に「と殺をしている」という項目を付け足しておいた。