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【咀嚼】『ショーシャンクの空に』フランク・ダラボン

「必死に生きるか、必死に死ぬか」

このフレーズが映画の中でよく出てくる。

「必死に死ぬ」という言葉に終始違和感を感じていた。

なぜなら、「必死に」という言葉には主体性が宿っていて、反対に
「死ぬ」という言葉には主体性が宿っていないと考えていたために
この相反する2つの言葉が併用されている事に違和感を感じたからだ。

でも、なぜあえて「必死に死ぬ」という表現をしたのか?

そこには、死ぬ事しか残されていないような絶望的な状況でさえも、
一筋の希望というのはどこかに残されているものだ。
いや、残されているという事は結果論であるから残そうとする事は出来る。
残そうとする事が出来る以上、死ぬという事にも少なからず主体性が伴う。

その主体性こそがこれまた映画の中によく出てくる「希望」か。
という面も含めつつ、また主体性が伴っているからこそ、
生か死かの選択もしなければならないという事を踏まえて自分はどちらを選ぶのか。
と、少々無理やりに解釈をしてみる。
自分で言っておいて何だが、生と死の二元論で語られるけどあんま好きじゃない。

映画の中で、聖書も一つの道具として出てきており、
聖書を崇拝し、絶対神を崇拝する刑務所長もいるが、
最終的にそれは脱獄の道具として使用される事になる。
神を揶揄するような匂いも感じる。

かなりみなさん高評価だが
心にずしっとくるものはあまりなかった。
また時間をおいてみたらまた違うかな。