【野口整体記17】梅雨の操法・呼吸と所作

じめじめとして蒸し暑い気候が続いている。前半は梅雨の操法を行った。

梅雨と言えば、呼吸器と腎臓という事で改めて整理をしてみる。腎臓がこの時期に働くようになるのは汗で排出出来ない分を小水で排出しようとするからだ。なぜ汗で排出出来ないか言うと、皮膚が梅雨の湿り気によって覆われてしまうから。故に小水で排出しようとするために腎臓に負担がかかってくる。

呼吸器に関してはすぐに整理が出来なかったが、湿気が高いという事は空気も重くなる、重くなるものを出し入れにするのは負担になるから呼吸が浅くなってくる、または皮膚呼吸する前提だと上述の通り皮膚の通りが悪くなればその分だけ呼吸の絶対量は減るので呼吸は浅くなるという理解でも良いかもしれない。兎にも角にも湿り気によって呼吸器と腎臓に負担が来るのでそこに関わる調整を行う。

後半は呼吸の間隙に関わる事。

特に呼吸と所作の関係性については初めてだったのでこの日一番の収穫。具体的には、一脚立ちやお辞儀の時にも呼吸を使って動きをリードする事が有効であるという事。何に有効かという事だが、相手の身体の状態を変える事に対して。例えば、お辞儀をする事一つをとっても、呼吸を使ってリードしたお辞儀というのは相手の身体が微妙に近づいてくる。いつもやっている、手の動きによって相手の身体をかためる事にもなるし、解す事にもなるし、という話の応用。

一足立ちもお辞儀に関しても、自分では些細な場合にも意識しているつもりだったので動きのかたさや意識の切れ目を指摘されたのは驚いた。実際に呼吸を意識しながらお辞儀をしてみると確かに動きが幾分か滑らかになるような感じはしたし、一足立ちも明らかに呼吸が途切れるポイントがあった。思い返してみれば、お辞儀をする時にいつも意識しているのは、手をどこに着くか、や上体をどこまで下げるか、といった動きの事に関する事で一杯であり、呼吸への意識はほとんどなかった。最後に他動的な5種体操をやったが、上記を踏まえて一挙手一投足意識しながらの緊張感は心地良かった。

先生の最近の流行り故かどうかは定かではないが、非常に瞑想的な稽古であった。10日間、山に籠って1日中誰とも話さずにひたすら瞑想するという時間を過ごした事もあるが、整体における呼吸の位置づけは分かりやすい。他者がいる事によって、自身が呼吸に意識を向ける事の意味を即物的に実感出来、思考の世界からひきずり出してくれる点が良いなと思った次第だ。