オニツカタイガー

オニツカタイガーの靴を履くようになったのだが、履き心地が素晴らしい、革靴を履く意味合いというのが自分の中ではなくなってしまう程に。日々の生活の中で歩くのが楽しくなった。

きっかけは友人に借りたナイキのスニーカーだった。靴が変わるだけ気分がこんなにも変わるものなのだという事を教えてもらった、大地を踏みしめるとはこういう事なのかと、歩くという行為はこんなにも気分を高揚させるものなのかと。それからはたまにその靴を借りて、普段は自転車に乗ったりする距離を歩いてみたり、最寄り駅から一つ前の駅で降りて歩いて帰ってしてみたりした。夜道で急に走りたくなって線路沿いに全力疾走をしてみたりもした。

それからずっとスニーカーが欲しい欲しいと思っていたけれど買わず仕舞いで過ごしていたが、一度あの歩く感覚を味わってしまったが最後、革靴で歩く事が苦痛で仕方なかった。なぜ苦痛を強いてまでこの革靴を履いているのかと問うた時に他に履く靴がないからの理由以外に答えが浮かばなかった。そうであるならと、買う覚悟を決めて色々と調べる事にした。

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「スニーカー 履きやすい」という語の組み合わせで検索するとまず決まって表示されるのはニューバランスであった。ただニューバランスの靴を選ぶのはどうしても嫌だった。ニューバランスの靴を以前に履いた事はないので履き心地に関して批判する権利は全くないのだが、スニーカー×履きやすい=ニューバランス、という方程式に乗っかる事が自身の自意識に引っかかってしまった、他人がニューバランスを履く事と自身がニューバランスを履く事との間には全く関連はないのにどうしても他の大勢がニューバランスを履いている事が自身がニューバランスを履く事を躊躇わせてしまっていた。

次に目をつけたのは、アウトドアシューズだった。アウトドアシューズで有名なものを検索してみると、「メレル」や
「キーン」などが出てきた。アウトドアシューズといっても、ゴツゴツした本格的な山登り用のものではなくて、普段履きにも使用出来るものがあるらしい。自分は丈夫で長持ちしそうなものが好きだ。そういう点では、アウトドアシューズというのは水にも強そうだし、ちょっとやそっとの事では壊れたりしなさそうなイメージがある。ただ次に自身の自意識にひっかかったのは、外国製のものがほとんどという事だった。アウトドアブランドの主流はアメリカのものが多い。でもどうせなら日本製のものを使いたい。日本人の足に合ったものをどうして外国の人が作る事が出来ようか、そう思ってアウトドアシューズもとりあえず除外。同様の理由で、友人に借りたスニーカーはナイキであったが、ナイキも除外。

そこで見つかったのがオニツカタイガーだった。オニツカタイガーと聞いても、馴染みのない人が多いかもしれない。自分も靴に関して調べ始める前までは聞いた事もなかった。ただ、シューズ自体をみれば誰しもが知っているメーカーであり。それはアシックスだ。アシックスというのは、元々鬼塚さんというのが創業者で、会社の名称自体も、オニツカ株式会社というのが前身だったようだ。そこから名称変更をしてアシックス株式会社となったらしいが、アシックスのスニーカーの中でもオールドな型のものに関しては、今でも当時のブランド名であるオニツカというのを使用しているらしく、同じロゴを使用していてもアシックスとオニツカタイガーという名称が分けられている事になっているようだ。余談はさておき、メーカーはオニツカタイガーに決定。スニーカーも沢山の種類が販売されているし、日本メーカーなので、日本人の足にあった靴をつくっていそうだしという事で。

オニツカタイガーの直営店に向かう。以前の自分なら、何となく知っている自分のサイズを参考にして、ネットとかでとにかく安いものを選んで注文していたと思う。けれど、今回に関してはとにかく履き心地を重視したかったので、実際に履いてみてどうなのかという事を自分の足で確かめる必要があった。

スニーカーの種類自体は事前に決めていたのだが、色をどうするかは迷った。黒ベースのものだと落ち着きすぎている感じもして、けれど、シルバーベースのものだと子供っぽい感じもしたので、その中間だのグレイベース
のものだと、ベース以外に使われているカラーが派手な感じだったので結局黒ベースのものを選択する事にした。

次にサイズ。25.5か26かで迷った。どちらもぴったりなのだが、微妙に違いがある。前者は、フィット感がある分爪先の辺りが締まるような感じがした。後者は、多少ゆとりがあるのだが、歩く時の蹴り上げる動作の際に踵の部分の浮付く感じがある。結局、ぴったり過ぎると、長く歩いた時にむくんでしまった時にパンパンになってしまうのではないかという事を懸念して、26にする事にした。

実際に履いてみて、色に関してもサイズに関しても良い選択だったと満足している。色に関しては落ち着いていて存在感も薄いのでどの服に合わせても大丈夫。サイズに関しても、最初は多少緩いかなとい印象もあったが、靴紐を通す穴を一段高い場所まで通す事によって締め付ける事が出来たので踵の浮付きも大幅に軽減された。

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踵をガバガバさせながら歩いている人、高いヒールで歩きづらそうにしている人、これでもかと腰を締め付けたタイトなミニスカートを履いている人、爪先が今にも突き破って出てきそうな位に窮屈そうなパンプスを履いている人、色んな人がまちを歩いている。着心地や履心地が衣服を選ぶ基準において勿論全てではなくて、外観を基準にしている人は多いだろうし、自分自身も無視出来ないので外観は大事な基準だ。ただ、着心地や履心地を支えるものは自身の身体への関心であり、外観への比重が増す程に身体は無視されていくのではないか。

過去に着心地、履心地というものを基準にして、衣服を選択するという発想がなかった。基準になっていたのは、安さであったり、見た目であったり、ブランドであったり。衣食住とはよく言われるが、「食住」に関しては、食べるものがなければ飢え死にしてしまうし、住むところがなければ安心して生活出来ないから重要性は何となく理解出来ているつもりだったけれど、「衣」に関してなぜ「食住」と同列に扱われているかよく分からなかった。確かに、衣服によって体温調節をする事で生存活動につながっているという点では、生きていく上で欠かせない事かもしれないが、様々な技術革新によって衣服で充足していた生活の機能を他のもので代替出来るようになっているのも事実ではないか。そう考えると、益々人間にとっての「衣」というものが浮付いたものに思えてくる。

それでも、スニーカーを変えて気分があれだけに変化した経験を鑑みると、「衣」というものの意味合いが決して軽いものではなさそうだ、という事が実感としてジワジワと湧いてきた。