読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

【野口整体記5】気合

参加するかどうか迷っていた。まだまだ呼吸法に関しては学び始めたばかりであるし、学んだものを消化しきれていない時に新しいものを学び始めると消化不良になってしまうのがこわかったのがまずある。あとは、何かを身につけていくという事は自分自身が試行錯誤しながらやるという事であり、何かを教わるというというのはあくまで補助的なものに過ぎないから誰かに教わる事に依存しすぎて学ぶ実感が麻痺してしまう事は非常に恐ろしい事であるので自分でやる事と他人に教わる事の比重に非常に慎重になっている最近でもあった。けれど、先生が丁度自分の年齢位の時期に毎日のように行っていた稽古内容であると知って、先生よりも稽古の開始が遅い分、少しでも遅れをとり戻す必要を感じたので稽古に参加する事に決めた。

気合法の稽古内容の中に、弦楽器に気合いをかけると楽器には触れていないのに弦が弾かれて音が鳴る、という文章だけを見ると大変にオカルトチックなものに見えてしまうようなものがあるが、体系の中では、呼吸法の一種で、漏気法、深息法の発展系として位置付けられており非常に重要な内容のようだ。愉気の「気」というのも、気合の「気」が由来であると言われる位に、あらゆる技術の礎になってくるようで。

始めに先生が手本を見せてくれる。先生のそれは、山の噴火を間近で見ているようだった。普段は温厚な人柄であるが、その一瞬の爆発力はものすごいものがあった。弦楽器に気合をかける、というのも間近で見ていたけれど、微かに音が鳴っていた。本当に微々たる音ではあったが、風などによって弦が揺れたとかではなく、確かに気合によって弦は弾かれていた。先生と上手く出来ていない人とでは気合いの入れ方を観察してみる。声が腹の下から明らかに出せていない。声を出すにつれ声を出す位置を下方へ落とすのだからそれに従い音域も低くなるのが自然だけれど高いままであったり。あとは、型の細かい動きが気になった。両手拳をお腹の前に突き出す時は拳を立てた状態にするのだが、両手拳を合わせて下に落とす時は拳を捻って掌側を下にして寝かす。この時に拳を立てたまま落とそうとすると拳に体重がのせづらいのでやりづらかった。拳の動きで声を出す位置の移動を想像させる仕組みである。

自分でもやってみる。やればやるほどに、背中の辺りを中心にして、上半身が温かくなってきたので着ていたコートを脱いで稽古を続けた、暖かい上半身とは対照的につま先は冷たいままであったのを覚えている。大きな声を出す事自体にそれほど抵抗はなかったが、お腹で声を出せているかどうかという事を自分で確かめる術がなかったのでとにかく拳を落として声も一緒に落とす事を意識しながらやってみる。先生には、良い感じですね、と言ってもらうが結果的に弦に対して気合をかけても先生のようには音が鳴る事がなかったし、他人に対してかけた際も明らかな効果が出ているとは言い難いものであったのでうまく出来ていたのかは正直わからない。毎日やっていくと型に力が出てくる、という事をおっしゃっていたのでただ続けていく事。

今回のものも含めて今までにいくつか呼吸法を教わったが、概して想像力を必要とさせられる印象がある。背骨で呼吸をする感じ、掌で呼吸をする感じ、お腹に溜めた呼吸を発声と共にお腹の下へ落とす感じ、拳の動きと共に声を出す位置をお腹の下へ落とす感じ。想像力とスピリチュアリティは紙一重と感じるので説明の仕方は要工夫だなと思う。

稽古当日は夜間に外での稽古だったので寒かった。先生はコートを着ていたが手袋はつけていなかったので、手をさすって温めながら説明をしている姿が目についた。自分などが同じような格好をすると肩があがりがちになってしまうイメージはあるが、先生の肩は落ちていたのであまり寒そうな印象を受けなかったのが印象的であった。