【野口整体記3】力点は一つ

力点は一つ。身体を後ろに反るにしても、声を出すにしても、立ったりしゃがんだりの動作一つをとってみても、その人の力点は一点にある、逆に言えば一点さえ見極める事が出来ればよい。その見極めが出来れば越した事はないのだがそれが難しい、見極め自体は目で観たり、手で触れたりする事で行う。その人が声をどこで出しているかを見極める稽古があった、他人が目の前で、「あー」と声を出しているのを背面から観察して背骨のどの辺りで声を出しているのかを見極める。角度を変えたりしてみても観るだけではわからない自分は、でも触ってみるとわかる、触ったところが振動しているのだ、振動している場所でその人は声を出している事になる。そして声の発生源がその人のとっての力点であり、その人の様々な動作の力点はそこに集約される。自分も声を出す担当として皆の前に立つ機会があった。自分で「あー」と声を出してみても、自分がどこから声を出していのかを感じる事が出来ない、自分で自分の事がわからない、それでも自分の背面を見ている方達は頷いている様子で、実際に触る事で納得を深めている様子であった。

跨ぎの型。跨ぎ自体がしんどいし、一側二側三側の場所と押さえ方も曖昧。一側が背骨から指一本分側面にあり、二側三側になると指二本、三本となる。各背骨と身体との相関関係さえ曖昧であるのに、各背骨に対して三側ずつ存在するという事は各背骨×3という事になり、それだけの身体の状態をある程度頭に入れておく必要があるのでないか、という計算を自然としてしまう。

日常の研究。稽古終了後には食事に誘って頂いた。人と話すという事に関して全くといってよい程関心がない最近なので行くか迷ったが、先生の日常の所作を観察する良い機会だと思い、参加させて頂く事に。操法をしている時の先生しか今までは見た事がなかったので、まちを歩いているのを見るだけでも非常に新鮮な感じを受けた。どういう歩き方をしているか、何を注文するのか、どのように食事をするのか、というような事に注視していた。一番印象に残っている場面は、料理が運ばれてきた時に、先生がホールの方から料理を受け取る際に、「持ちました。」と一言伝えていた事だ。