【野口整体記】矯体

・視力に関しての質問

・捻り嬌体

・右腸骨を下げる矯体。

・腕の嬌体。動作4種類

・脚の嬌体。動作4種類

・偏平足と足首矯体

 

視力に関しての質問を最初にさせて頂いた。一通り現在取り組んでいるところを説明した上で、追加でやると良いものとして「両眼でみる」という事をアドバイス頂いた。眼球に触ってみると、左の方が硬くなっており、眼前に指一本立てた上で片眼ずつ検査してみると左の方で焦点が合っている。右眼でみようとすると焦点がずれてしまう。他にも身体の動きで偏りがある動作に関しては両方バランスよく使っていく事のお話しもされた。既に左手で歯磨きをする事はやっているので、他にも試していこう。

 

 

【咀嚼】小谷美紗子 弾き語りTOUR「MONSTER」

先日、小谷美紗子のliveに行ってきた。滅多にliveには行かない、椎名林檎以来だろうか。

初めて聴いた彼女の曲は「自分」

今まで、ロックやパンクを聞いても五月蝿く聞こえるだけであったが、この曲を聴いた時にはロックだなあと感じた。バンド演奏ではなく淡々とピアノの弾き語りをしながら、。己と他者、或いは社会との関係を綴っている。
当時、己を他者や社会の中でどのように位置付けるかという事ということに関してぼんやりと答えは出ていたけれど模範となる人たちや主張を掻き集めていたが、見事にどんぴしゃりと謳い上げている様を見て傲慢にも自己肯定を得たのを覚えている。

それからベストアルバムを借りた。今でもよく聞く。そして次に気に入ったのが「見せかけ社会」という曲。

「自分」とも重なる部分を感じるので己の性分をまざまざと突きつけらてしまうが良いと思ったのだから仕方がない。どこに惹かれたのだろうかということを言葉にすると、徹底的に自分自身のことを俯瞰的に捉えている点、だろうか。

ただ、よくよく他の曲を聴きこんでいくと、また違った印象も出てくる。恋や愛の唄が多いのだが、それらの曲においては、自分自身に対して「なぜ」を追求していく姿勢がほとんどない。むしろ、「恋人とギリシアの神殿の石になってしまい」や「私は火の川になってあなたを追い掛ける」などと常人には、少なくとも私には沸いてこないような欲望そのままを捉えてド直球に歌い上げている。

liveは過度な演出がなくて、開演後すぐに演奏が始まった。MCも少しあったが、言葉を選びながら話すからか間が多く印象に残っている。愛を語る情念的な唄と英語を使って軽やかに刻む唄では身体の動かし方が違ったりするのもまた面白かった。

MONSTER
Music For Life
2016-05-20



【野口整体記21】視力

・胸で相手をみる。方向転換をして押してもらう。
・ハサミを用いて気を通す感覚
・化膿活点
・上肢第二、反応部位の確認
~休憩~
・捻じれ嬌体
・視力と肩甲骨剥がし。眼と呼吸器の関係。
・頭部第二を利用して字がみえるようになるか。
・胸を意識しながらの跨ぎ

視力を良くしようとパソコン利用時以外は出来るだけ眼鏡をかけない生活を継続しているが意外と困らないものだ。視力と絡めて肩甲骨剥がしの練習をさせて頂いた。事前に片目ずつで眼の見え方を確認してもらっておいて、自分が身体を拝見してどちらが効き目になっているかを当てる、という流れを組んだ。Yさんの身体を拝見すると、右側の肩甲骨の方が動きが悪かったので左眼が効き目なのかと読んだが、一方で胸を拝見すると胸部は右側の方が盛り上がっており右眼が効き目ではとも読み取れる。答えを聞いてみると、左目の方が視力が悪いとの事。故に、左目の視力が悪い分を右目が補うことで右目に疲労がきている解釈できる。ただ、Mさんにも同様のことを行うと、結果はまた違ったものに。効き目とは反対の目の方が疲れているように読み取れた。一筋縄ではいかない。

頭部第二と視力との関係を実感できた瞬間が本日一番感動した。頭部第二の場所は、両耳と両眼から頭部にかけて線を引いた時に交差する2点。実習のやり方としては2人で出来る簡単なもの。一人は、本の字が読めるか読めないのところに持ち上げ、もう一人は本を持っている人の頭部第二をじっと押さえる。しばらく押さえていると、ぼやけていた字が少しずつ見えてくる。始めは、完全に半信半疑であったが、実際にやってみると文字がぼんやりとではあるが読めるようになった。押さえてもらっていた時間は5分程だっただろうか。本当に簡単に出来るので、整体に先入観を持っていない人にいきなり試して成功したら本物だろうな。

【野口整体記20】チック症、しゃっくり

先日、モスバーガーにいたら隣の人が頻繁にしゃっくりをしているので気になった。

何だか聞き覚え、見覚えのある光景だなと記憶の糸を辿っていくと、同級生の事を思い出した。当時はただの癖なのだと気にはしていなかった。この現象は何なんだろうとその場で調べてみると、「チック症」や「トゥレット症」という言葉に行き着いた。どうやら、医療分野においては、神経症的なものとして分類されており、対処療法としては心理療法行動療法が用いられる事が多いようだ。

観察をしてみると、股をガバっと開き、背筋を極端に丸まらせ、スマホを視界10cm位にまで近づけて凝視している姿が特徴的だった。しゃっくりをする瞬間の身体をみてみると、首の根元辺りで動いていたように見受けられた。自分でも真似をして同じ行動を試してみると、やはり肩甲骨と首回りが動く。

説明だ。医学的には明確な原因というのがまだ分かっていない現象らしい。野口整体の視点ではどうかと検索を
「しゃっくり」ってそもそも何なのだろうと調べてみると、「横隔膜の痙攣」が原因によって引き起こされるものらしい。横隔膜の痙攣に伴い、声帯が狭くなり、その狭くなった声帯に息が通るときに流れる音が「ヒック」というものになる、という何だかよくわからないしてみるも、しゃっくりについて言及されている文章が余りなくて驚いた。自分だったらどうするだろうか。神経症という前知識から頭を調べてみたくもなるし、横隔膜という前知識から胸の辺りも気になるし、特徴的な眼つきをされていたので眼も気になるところだが、頸椎部分に一番力が集まっている風だったのでそこと関連している部位を探す事から始めるだろうか。

「横隔膜」という単語が出てきたけれど、そういえば前述の氏は大変に学年で一番脚が早かった。もしかしたら何らかの関係があったのかもしれない。

【野口整体記19】気を通す感覚

・合掌行気
・脚での合掌行気、重さの変化
・背骨での合掌行気と人間ベンチ
・腕や脚を利用して気の有無と痛みの有無
~休憩~
・日焼、火傷と仙椎2番
・気が通っている腕と気が通っていない腕との違い
・背骨の弾力を脚へ気を通す事で変える
・手の指を利用して、気感覚と触覚との一致確認

気を通す感覚についてはまだ実感として掴めているとは言えない。なぜなら、相手の指や腕を利用して気の通りやすさに関して見当を付けた上で実際に触って確かめてみると食い違っている事は多かったからだ。ただ、気というものの位置付けは以前よりは不信感は払拭出来てきた。それは、集中力という言葉に置き換えてみたり、身体のある部分にどれだけ意識を向けられるかという提起に替えてみる事によって、自分にとって納得感のあるものになってきたからだ。

今回は、前回指摘のあった、胸で相手をみるという事や、武道を見学させて頂いて正中線を相手に合わせるという点はどの武道でも共通しているようだったので、それを意識して稽古するようにした。途中、先生から、施術をしている部分は手段であって、変化をさせたい目的の部分は別のところにあるのだから、視線は目的の方に向ける話が少しあったが、やはり胸で相手をみるようにすれば目的の部分に目を向けやすくなる。と同時に、以前の稽古時には施術部分のみに視線がいっていた事を思い出したりして、視線の変化をぼんやり感じられる事が出来たのは良かった。

博愛歯科

行きつけの歯医者がある。東池袋にある博愛歯科さんだ。

昔から歯医者が嫌いで嫌いだったが、とうとう虫歯の治療をする必要が出た時に、出来るだけ歯を削れなくて済み、なんならば痛みも感じないような治療法がないものか、と調べたときに知ったのが3Mix-MP法という治療法だった。簡単に言うと患部に薬を塗り時間を経る事によって虫歯が治ってしまうという夢のような方法。出来れば、この手法で治療をしたいと思うようになり、さらに調べる内に出会ったのが博愛歯科の岩久先生。ホームページにも記載してあるが、3Mix-mp法と3Mix法という別々の方法があり、3Mix法という手法を研究・開発されたのは岩久先生なのだが、3Mix-mp法は後進的に研究もなされないまま広まってしまった。また、3Mixをやるにしても結局少しは歯を削る必要がある事を知って、恐怖感を抱えながらも治療に行く事を決め、そこからはすっかり行きつけとなり今に至る。

なぜ行きつけとなってしまったかと云えば、その仕事のやり方に惚れた、という事に尽きる。
まずホームページをみるだけでも医院の姿勢を見てとる事が出来る。ページ一枚に医院の概要や先生の略歴が敷き詰められたお世辞にもお洒落とはいえないデザイン。こういうシンプルなデザインを用いる事が出来るのは、己の技術に自信があるか、世間知らずかのどちらかであろう。そしていざ中身に目を向けてみると大量の文字。読む気が失せてしまう事をぐっと堪えて読み進めてみると、患者の自助努力こそが一番大事である、という歯医者にとっては利益とは反して中々書きづらいが、実際は至極真っ当であると思われる事が協調して記載してある点が僭越ながら素晴らしい。

さて実際に医院へ足を運ぶとどうか。更に度肝を抜かれる事になる。
まず、内容が一般的に想像するような歯医者とは全く違う。広さとしては、ワンフロア一室が小さな喫茶店位。いわゆる受付嬢もいなければ、広い受付スペースもない。それもそのはずで、先生とその奥様のお二人だけで経営をなさっているからだ。完全予約制なので待合室で大量の患者が待っている光景もここにはない。歯科業界では経営コンサルが入って敢えて予約時間を被らせ、待ち患者を意図的に発生させる事によって流行っている歯医者である事を演出する医院も多々ある事も伺った。ただただ歯の治療をする事に最適化された空間。

では、治療の方法は如何かというと、上記の経営スタイルなのでとにかく丁寧。
歯石取りから歯ブラシの指導までたっぷり時間を掛けてやってくださる間、ラジオなどの音楽はないが先生の歯に関するあれやこれやのお話しがBGM代わりとなる。先日は、歯科医同級生との宴会の話が面白かった。曰く、宴会では歯が悪い同級生の隣に陣取る事が常らしい。そのこころは、歯がしっかりしていない人間からアワビなどの高級食材を貰えるから。歯科医には歯が悪い人が本当に多い、という暗喩されていたのだが切ない気持ちになった。

今よりお客さんが増えると逆に困ってしまう、とおっしゃっていたのでブログに書いてしまうと怒られるかもしれないが影響力が露程もないのでまあ大丈夫。これからもまだまだお世話になろう。

武道とスポーツ

武道を始めようと思い、様々な道場を見学させて頂いている。

先日、ある合気系の武道を見学させて頂いた。合気道と云えば、塩田剛三氏の動画が真っ先に思い浮かぶが、そのイメージに近い光景が眼前で繰り広げられていた。技の受け手が腕を掴みに行っても、攻め手が軽く身体を動かすだけで、受け手は後ろに吹っ飛んでしまうような。

稽古を観察していると気になる方が一人いらした。その方だけは師範の技を受けても技の掛かりが良くなかったからだ。技を掛けられても派手には吹っ飛ばずに、よろよろと空気を呼んで倒れ込んでいるように自分には映った。他の方は、顔をしかめっつらにして、首をふんぞり返して、時には雄叫びをあげながら吹っ飛んでいるにも関わらず。

自分自身はただ座って見学していただけで、実際に技を受けた訳ではないが故に、受け手の視点からは何も言う事が出来ない。また、武道とは受け手の技術も技を構成する大きな要素だというのであれば、先ほどの例は受け手の技術が低い事の最もたるものなのかもしれない。ただ、何だか腑に落ちないなあと。結局内輪ネタじゃないか、と感じてしまったのだ。

「武道は近代になるにつれスポーツ化が進み、武道の精神は失われた」という言説はよく耳にするところだ。この論理は、競技をする事、争う事、試合をする事は元々武道にはなかった、という起源を大切にしているように素人ながら解釈している。しかし、武道が生まれた源流をもっと遡ってみると、戦国時代の戦いの中から生まれた柔術などの存在は避ける事は出来ない。つまり、スポーツよりも遥かに血みどろな世界が武道の源流としてあるのではないかと考えると、武道のスポーツ化という現代社会の中で源流に立ち戻ろうとする姿勢として自分には映ってしまう。その視点に立って先の出来事を振り返ると、相手の技量に寄って技の掛かり具合が変化してしまう武道を源流と比べると如何に違うものになってしまったか、と思ってしまう。

確かに、競技化をする事によって危険な技は削除されてしまったりと伝承を絶やす事につながる弊害がある一方で、競技化する事によって内輪ネタのなり過ぎを防ぎ伝承にも良い影響も出てくるのではないか。武道選びにおいては、演武と実戦のバランスをどのように捉えていこうかと考える良い機会となった。